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No. 24 (Wed)
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Date 2006 ・ 05 ・ 31

けなげカモ

キャンパスの池
わがキャンパスには池があります。郊外にある大学ならそれほど珍しいことではないかもしれないし、小学校や中学校ならなおさらだろう、とは思う。

しかし、その池のすぐ横にテーブルが並べられていて、毎日アウトドアで食事ができるという恵まれた環境はあまりないでしょう(自慢!)。


灯篭
しかーも、池の中洲にある灯篭の陰ではカルガモが卵を温めている。よーく目を凝らすと、灯篭のすぐ右にカルガモの頭が見えるのですが。

昨年は、蛇に卵をひとつ奪われ、親ガモが一日巣に近づけず、結局一羽も誕生しなかったという悲話がありました。
今年はカルガモ親子の行進が、東海大学のキャンパスで見られるでしょうか。
楽しみカモ。
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No. 23 (Mon)
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Date 2006 ・ 05 ・ 29

心は熱く燃えている!

真空管アップ

無生物も生きている。

真空管(より正確を期すと、真空ではないということで電子管というのですが、一般に真空管の方が通りが良いので真空管)は、本当に生きている感じがする。スイッチを入れて電源が入ると、中心の電極部分がジワーッと赤くなってくる。真っ赤に燃えるまで、音も出ない。これを生きているといわずしてどうする。

彼らが一所懸命働いているとき、その全身は触れば火傷するほどの熱さだ。うっすらと積もったチリがこげて焼ける匂いもかすかに漂う。

目で見て、触って、嗅いで、音を聞いてわかる真空管の生き様!

残るは味覚のみ。
アンプ全景
(made by Taku on 1979)
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No. 22 (Sun)
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Date 2006 ・ 05 ・ 28

老化は足から?!

エンドピン

エンド・ピンにエンド・ゴムを挿入しました。そして、立った。
ベースの立ち姿2

老化は足から来る、という言葉を耳にすることが良くある。確かにコントラバスの老化も足から来た。なんといっても、多分10キログラムを超える巨体を、こんなに細い足で支えて、しかも24時間365日立たされっぱなしなのです。

ベースの左手

早速、弾いてみた。足がしっかりしたせいか、音も豊かになったような気がする。

今年はモーツアルト生誕250年とのことで、一昨日もラジオで彼のシンフォニーの特集をやっていた。その解説によれば、29番が一つの転機になったということで、それまでのファンファーレ風に始まる形式から、弦楽器による静かな曲の出だしに変化したという。

いつも聴いているCDで、あらためて29番に注目してみた。実は、そのCDは38番、29番、30番という順番で収録されている。38番の途中までは意識が結構集中しているのだが、大抵新聞を読んだりしていて、29番が始まる頃には新聞記事のほうに気を取られてしまっている。

そこで、29番から始まるようにセットして聞きなおしてみた。なにげなく聞き逃していた29番の冒頭は、たしかに他のモーツアルトの交響曲と一線を画しているようです。

ちょっと視点を変えるだけで、同じものが新鮮に感じられるものなのですね。
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No. 21 (Sat)
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Date 2006 ・ 05 ・ 27

エンド・ゴムです

end-pin

雨の御茶ノ水で、コントラバスのエンドピン用ゴム(エンド・ゴムと言うそうです)を入手。金367円なり。これで立派に2,3年は立ち続けてくれるでしょう。

チェロのエンドピンとベースのそれでは太さが違う。同じベース用でも、数種類あって、店員さんとモノサシで測り比べながら、多分これでしょうというのをゲット。

続いて隣の店に移動して、エレキギターの弦をゲット。一番やわらかいのを6本セットで580円なり。

明日は、エンド・ゴムを付け替えたり、ギターの弦を張り替えたり、超多忙な日曜日になりそうです。
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No. 20 (Sat)
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Date 2006 ・ 05 ・ 27

ラとレとミの音がー出な~い!

ピアノベースギター

今日も朝から雨で、湿気を含んだ冷たい空気が、喉にさわやか背中にゾクゾク。こんな日は、わが家のピアノもご機嫌が芳しくない。

電気の除湿機も装備して気を遣ってはいるのだが、湿気にはめっぽう弱い。時間があるときには蓋を開けて、ドライヤーで乾かす。今日は昼から出かけるので、ラとレとミの音が出ないまま、バッハとショパンとベートーベンを弾いたのだった。

湿気のせいか、先週はギターの1弦が切れてしまい、今朝はコントラバスが大音響とともにひっくり返った。エンドピンのゴムがヘタってしまったらしい。早速、今日の研究会の前にお茶の水の楽器屋で調達してこようと思っている。

小学校高学年の子どもたちでも、無生物にいのちがあると考えている、との調査結果がいくつかあるが、もうじき還暦のおとなでも無生物にいのちがあると感じてしまった朝だった。
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No. 19 (Thu)
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Date 2006 ・ 05 ・ 25

Googleで検索できました!

卓ブログがGoogleで検索できた。3ページ目だけれど。
検索してみて分かったことは、「卓ブログ」という名称を結構多くの人たちが使っているということ。同時に、卓と言う名前の人も少なくないらしいということも再認識した。

今年は、大学の「いのちの教育」の授業で、アメリカの教育書に掲載されている授業案を翻訳して、互いに実際にやってみるということをしている。

先日は、自分の名前の由来を家で聞いてきて、グループ内で発表して互いに思いをシェアリングするというものをやってみた。僕も参加者の一人として、卓という名前の由来や自分の思いを語ってみた。

学生の皆さんも、それぞれに自分の名前には思い入れがあって、それを互いに認め合ううちに、なんだか暖かいムードが教室を満たしたのだった。
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No. 18 (Wed)
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Date 2006 ・ 05 ・ 24

今日も夕立だ!

今日も夕立に遭遇。
雷鳴が遠く聞こえ始めた頃に、犬たちと散歩に出てみたが、思ったよりも激しく降ってきた。しばし、といっても30分ほど針葉樹の木陰で雨宿りしたけれど、一向に止もうとしない。結局あきらめて土砂降りの中を帰宅したのだった。

きのうは、今年初めての梅狩りに出た。そして、夕立に降られた。梅はたわわ、僕はあわわ。
雨に降られて


思ったとおり今年は豊作!!この美しい梅たちをご覧ください。
かごの梅


それにしても、梅雨が来る前に、すでに十分梅雨っぽいし、しかも連日夏のような夕立です。畑のトマトと枝豆が心配だ。
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No. 17 (Mon)
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Date 2006 ・ 05 ・ 22

チーム・ドラゴン

チーム・ドラゴンのこれまでの課題は、バチスタ手術に取り組んで成功させることだった。(坂口憲二演ずるところの外科医が主人公の「医龍」というテレビ番組参照)

前回はついにその手術の当日で、手術は成功したものの、突発的に別の疾患が発見され、看護師がメスを取らなければならない状況が展開された。看護師が開腹するというのは医師法に抵触する行為なのだが、医龍はそれをやらせようとする。助かるかもしれない患者を、医師法の名の下に見殺しにはできないと叫ぶ。しかし、他の医療関係者は、当然ながら医師法違反に加担したくない。ぎりぎりの葛藤の末、助教授稲森女史は決定を下す。という、ハラハラドキドキの「いのち」を主題にした展開でした。

大学の教室で10名ほどの学生諸君と議論をしようと思ったけれども、誰一人このドラマを見ていなかった。がっかりした。

今時の大学生は、テレビ・ドラマなど見ないのだった。時間の無駄、と切り捨てる学生もいるし、バイトでそんな時間には家にいないというものもいる。家にいても、白々しい作り物のドラマを見るより、インターネットでのリアル(?)な情報サーフィンの方に価値を見出していたりする。

そんな時、白々しくて、ウソっぽくて、作り物だから良いのに、と僕はつぶやくのが常である。

そして僕の頭をよぎるのは、「バチスタ手術」⇒「バチスタ政権」⇒「キューバ革命」⇒「チェ・ゲバラ」ときて、再度バチスタに戻って「バチスタ」⇒「蜂須賀」⇒「秀吉」⇒「ナカマ・千代・ユキエ」といった連鎖。

いのちの問題は駄洒落とつながっていることを、そんなふうに一人確認するのだった。
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No. 16 (Sat)
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Date 2006 ・ 05 ・ 20

LESが終わりましたレス

LESの様子


雨が降ったり晴れ渡ったりと、激しく天候の変わる土曜日だった。そんな中、12,3名での熱心な討議が行われたLESだったのレス。

講師にお迎えした束原氏の、意表をつく授業展開に、高校生になって授業を受けているつもりの私たちは、時間を忘れて引き込まれていた。

冒頭、生徒役の一人に自己紹介を求め、それについての参加者の感想を引き出したところで、うまうまと束原ペースに乗せられていた。

それは「今の自己紹介で触れられなかったことは?」という問いかけであった。色々と私たちは頭をひねったが、なかなか決定打は出てこない。正解は「性別」。男性とも女性とも名乗らずとも、私たちはその人の性別を自明のものとして「判断」して受け入れている。そこにあったのは、果たして性とはそのように自明なものなのか、という問いかけであった。

後は、束原講師の思う壺。そして、あっという間の2時間が過ぎて行ったのだった。

LESのBS


3時からのLESの開始前、有志によるブレイン・ストーミングが行われた。「いのちの教育とはなにか?」について、私たちの考えるものを広くカヴァーした「いのちの教育マップ」を作ろうという試みである。1時間半ほどのBSで、170に及ぶ事項が挙げられた。

大きく分ければ、いのちの教育の「テーマ」と「方法」に関するものになると思う。整理して「マップ」ができたら、なるべく早い時期にHPで公開したいと考えている。

「いのちの教育とは駄洒落である」というのも出てきました。ご安心ください(?)。
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No. 15 (Fri)
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Date 2006 ・ 05 ・ 19

青空がのぞいた

20060519155611.jpg


久しぶりに青空が顔を出した。
キャンパスの森のレストランでは、オープンデッキで楽しげな若者の声がこだましている。
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No. 14 (Fri)
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Date 2006 ・ 05 ・ 19

町内の活性化

研究室


今朝のラジオで、あるミュージシャンが「作曲をすることは、自分の汚れた下着を他人に見せるようなものだ」と言っていたのが印象的だった。

デスクワークをする人の性格や生活は、机の上とその周辺に如実に現れるのかもしれない。一見したところ、乱雑と混沌。それがわが机の周辺環境である。これまでに、「なんでこんなに散らかっているの?!」と叫んだ学生は、一人や二人ではない。

だが、じたばたするな、と言いたい。

地域の活力が落ちたり、地域の教育力がなくなった、などと言われるが、そのひとつの要因は町から「混沌」がなくなったことにあると思う。整然とした街路、きちんと並んだ小奇麗な家々、雑草ひとつ生えていない路地。そうした風景が、全国津々浦々に広がってきている。

整理されたものは、活用するための効率としては優れている。ただそれは、「出来上がったものを活用する」という意味においてである。

「活用」ではなく、そこからなにかを生み出すというときには、思いもかけないモノとモノが触れ合ったり結びつくことが必要なのではないか。あるべきものが、あるべきところにある、そうした環境からは創造的な活動は生じない。少なくとも、「面白い活動」は生じない。そう信じている。

思いもかけないもの同士を結び付ける面白さ、そのひとつが駄洒落だったり川柳だったりするのではないか。ラジオで聞いた謎かけをひとつ。

「地域の運動会とかけて、なんと解く?」
「ビフィズス菌と解く。」
その心は?
「町内(腸内)を活性化します。」

お粗末さまでした!


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No. 13 (Thu)
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Date 2006 ・ 05 ・ 18

くるみ発見

今日も気持ちの良い、しとしと湿気の雨の一日だった。
いつものようにキャンパス内を1時間ほど散歩した。
ビニールの傘をとおして森の木を見上げたら、とても美しかった。

雨の森


ということで、今度はふと下を見るとくるみがあった。実に無数の胡桃が落ちているではないか。
くるみ、といえば小鳩くるみであるし、小鳩くるみといえば、松島トモ子とくる。
プリマダムでは、バレエに打ち込む初老の婦人を演じているが、相変わらずおメメはパッチリのトモ子さんである。

くるみ


胡桃の横には、まっくろくろすけのこげ茶版のような木の実が、これまた無数に落ちている。

まっくろくろすけ


ついでに下を向いて歩けば、どんぐりは売るほどあるし、しまいには梅の種が落ちている。
僕は、これは梅の木から熟して落ちた梅が地面で腐って、種が残って転がっているのだと思う。
ところが、ピクニックをした誰かが、たくさん梅干を食べたのだと言い張る者もいる。果たしてどちらが正解か?

どんぐり


梅の種


いずれにしても、梅の季節なのだった。
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No. 12 (Wed)
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Date 2006 ・ 05 ・ 17

梅雨といえば梅酒

梅雨に入ったかのような雨模様が続いている。空気が湿って、寒くもなく暑くもない程よい気温と相まって、心地良い毎日が続いている。

カラッと晴れ渡った晴天はもちろん気持ち良く感じるが、こうした落ち着いた湿った日も心地よく感じる。特に喉の弱い僕としては、湿度の高いこの季節は過ごしやすく嫌いではない。

梅雨というくらいだから、梅の実の育つ季節でもある。

昨日、東海大学の湘南キャンパスで散歩中に梅の実り具合をチェックした。

キャンパスの梅


もう大分良い具合だ。今年は去年に続いて豊作らしい。一昨年は不作で、工学部のゼミと梅林で梅狩り競争のバトルになったのだった。

例年、近藤ゼミではこの季節に梅狩りをする。大きなビンにたっぷりの焼酎と氷砂糖で梅酒を作っている。ゼミ合宿やゼミコンパで、3年ものや2年ものなど並べて、皆で飲み比べるのが楽しみなのである。
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No. 11 (Wed)
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Date 2006 ・ 05 ・ 17

畑を耕した

ゴールデンウイークと先週末、山の家に出かけて原野を耕して畑を作った。生れてはじめて最初から最後まで自分ひとりで勝手に作ってみた。何人かに見てもらったところ、「良くできました、ハナマル!」といった評価だったので、現場写真を初公開!まずは、一坪ほどの大地を耕し、石ころを排除し、草や木の根を取り除き、黒土と堆肥と腐葉土を加えて出来上がり。
webサイズ畑1



夏の日差しを浴びて真っ赤に育ったやつを、ガブリとやりたいので、まずトマト。汗を流した後でビールをグッとやりたいので、つぎに枝豆。という具合。
webサイズ畑2



ついでに、三年前に植えた栗の木も大公開。「桃栗三年、柿八年」という言葉もあるので、今年あたり収穫が期待できるかもしれない。三年目の柿の木

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No. 10 (Fri)
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Date 2006 ・ 05 ・ 12

てれび食堂

「食堂」の呼び名がふさわしげな店には、たいてい神棚のように高いところにテレビが鎮座しているのが通例である。あの意味が良くわからなかったけれど、そのひとつが昨日判明したので報告しておきたい。

僕が毎日使っている大学の教職員「食堂」にも、やはり高い位置にテレビが鎮座ましましている。それが結構にぎやかにNHKの放送を流しているので、ついついそちらに耳と目がとられる。本を読んだり、午後の講義のことを考えたり、研究上のあれやこれやと思索をめぐらそうとしても、どうも気をとられる。

つい先日は、2時過ぎに行ったのでほとんど客もいないのに、テレビが一人笑ったり叫んだりしている。10数メートル離れた席であるにもかかわらず、ありありと内容が聞き取れる。そこで、こっそりと近寄って、大幅に音量を下げてみた。席に戻るとほとんど聞き取れない程度の音量になったので、やおらページを広げて本を読み始めた。

ところが5分もしないうちに、店員の女性がテレビに近づいていくや、前に近い音量にあげてしまった。僕は愕然とした。僕以外には、僕よりさらにテレビから離れた席の男女くらいしか客はいない。しかも、その男女は大きな声で会話に夢中である。どう考えても、僕には事態が納得いかなかったので、早々に立ち去ることにして、その際レジにいたくだんの女性にテレビの音量について苦情を言ってみたのだった。

彼女の説明によれば、大きな声で熱心に会話をされている声が聞こえてご迷惑かと思って、それでテレビの音量を上げてくれたのだという。なんと、うかつにも、そこまでの配慮が理解できなかった。そうだったのか、とは思ったものの、そこで引き下がらず僕はいつになく踏ん張った。

会話の声を打ち消すようにテレビの音量を上げると、会話の主はテレビに負けじとさらに声量を増すのではないか。声量と音量との勝負になって、ますます騒々しくなりはしないか。それよりテレビの音がなく静かなところでは、自分たちの声の大きさに気づいて、自ら会話の声量を下げるというのが人間の自然な無意識の心理ではないか。などと、心理学を講じているものらしさを装って、心理とか無意識などと理屈を述べたたてた。おとなげない春の午後だった。
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No. 9 (Tue)
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Date 2006 ・ 05 ・ 09

仮免マキ!?

今朝の朝日新聞を読んでいたら、トヨタ自動車の社長がプライベートジェットでアメリカへ飛んで、GMの社長と会合を持ったという記事に、オードロイタ・ヘップバーン!(オードリー・ヘップバーン)

大会社の経営者の方はファーストクラスどころか、プライベートジェットだ。一方、ポルコ・ロッソはプライベート複葉水上機でフィオと空を飛び、ジェームズ・ボンドはアストンマーチンで突っ走り、かく言う近藤卓は小さな車を転がして仕事に出かける。

その小さな車の中で、NHKのFM朝9時20分からの「私の名盤・・・」なる番組を、都内の渋滞を抜ける間ちょくちょく聞いている。そして、今朝そのラジオ番組で、仮免マキを聴いたのだった。番組パーソナリティの寺田恵子氏(かつてSHOW-YAという女性バンドのボーカルだった方)の名盤が、カルメンマキの曲だという。「カルメンマキ&OZ」のアルバムから数曲を聴いたけれど大変な迫力で、結構たいした歌手なのだと再認識させられた。

このところバーバリー先生の仮免マキが頭の中を渦巻いていて、ついついオードロイタ・ヘップバーンやら、マイク巻(マイク真木がステージでマイクをトイレットペーパーで巻きながら、マイク巻きとつぶやくパフォーマンスをかつて目撃したことがある)とか、「マイクを持って、前行く(まいーくと発音しながらステージを前進するパフォーマンス)」などのマイク・シリーズや、「あたりまえだのクラッカー」と前田武彦が叫ぶCMなどが、芋ずる式にズルズルと出てきてしまうのだった。

駄洒落のことを、おじさんの遊びのように言う人がいるけれど、僕は高校生の頃が駄洒落の絶頂期だった。クラスでいくつかのサブ・グループができていて、われわれのグループは単なる同音異義語を見つけては笑い合っていたけれど、ちょっと賢そうな別のグループの洒落は、なにがおかしいのかどうにも理解できなかった。あのレベルには、いまだに到達できていない、というより高校生時代のまんま、40年以上たつのに一向に進歩も変化もない。

高校生時代から40年変化がないといえば、体重がほとんど変化していない。67㎏前後のまま、プラスマイナス1㎏で変化というほどの変化は見られない。これはちょっとした自慢である。食事には質にも量にも気をつけているし、ストレッチングや筋力トレーニングは一日も欠かさず続けている。これは自慢というより、なんでも始めたら途中で簡単に止めることができない、そういう性格なのだからしかたないことなのかもしれない。

しかし、客観的に見れば、結果的には健康に気をつけて生活していることになるわけで、いのちを大切にしていることになるのだと思う。進歩や変化も必要なことかもしれないけれど、一向に進歩が見られない(駄洒落)とか、変化もない(体重)というのも、これはこれで価値のあることなのかもしれないと思うのだった。
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No. 8 (Sun)
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Date 2006 ・ 05 ・ 07

耕した

昨日は頭を耕しに東京さ行って来た。すごい人でした。東京観光が流行っていると昨日のNHKテレビで言っていたが、それがあれか、と思わせる賑わいでした。

久しぶりの本屋だったので、うっかり間違えて丸ビルへ行ってしまった。うろうろしてみたが、一向に巨大な本屋が見つからない。そのうち吹き抜けスペースでやっていたコンサートに目が行き、ついモーツアルトのクラリネット五重奏をしっかり聴いてしまった。

えがったー。残響が強すぎる嫌いもあったし、雑踏のざわざわもあったけれど、それでもCDでいつも聴いているあの曲とは、まったく違うものが伝わってきた。演奏者の姿が目の前にある、ということは大きい。「音楽は目で聴く」、とベートーベンが言ったとか言わなかったとか。音楽は耳で聞くだけ(つまり、聴覚だけ)では弱い。目で聴き、匂いで聴き、触って聴いてこそ、ずんと伝わってくる。

というわけで、思いがけずモーツアルトに触れ、ようやく目指す本屋へ行ってみたのだった。

本を手に入れるためには、一定の身体活動が伴うべきだ。表紙のデザインや紙のテカリ具合、ぱらぱらとめくったときの手に感じる紙の重みと弾力、ふっと漂う印刷の匂い、それらが相まって「私を連れて帰って」と呼びかける本のつぶやきが聞こえてくる(ような気がする)。本のつぶやく声の任せるままに、気がつけば予定を超えて、思わず14冊の本を抱きかかえていた。

平積みになっている本をひっくり返し、書棚の本を引っ張り出しては押し込み、要するに本屋を耕したのだった。
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No. 7 (Sat)
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Date 2006 ・ 05 ・ 06

頭を耕しに

今日は頭を耕してみようという気分。
腹ごしらえをしたら、久しぶりに大型書店に出かけて、歩き回ってみよう。

WEB上を検索してネットサーフィンするのも、頭を耕す助けにはなるかもしれない。でも、耕すという行為は、頭だけでできるものではなく、まさに行為としての身体活動を伴うべきものではないだろうか。したがって、その人にとって可能な限りの身体活動を総動員してこそ、はじめて真の耕すという行為が成立する。

そういう意味では、僕にとっては、やはり面倒がらずに図書館に出かけて行って、雑誌のバックナンバーをひっくり返して文献をあさる、といった行為が意味を持つのだと思う。ニュースだって、テレビやコンピュータに頼るのでなく、大きな紙面をひっくり返し折りたたみするなどの、新聞紙と格闘する行為の大切さがある。これらのことは、インターネットに頼りがちな若き学生諸君に、声を大にして伝えたい。

英語で耕すといえば周知のごとくcultivateである。あらためて辞典を引けば、土地を耕作する(till)のほか、才能や品性などを養う(develop)などがならび、しかもひげを生やす(grow)まで並んでいるではないか。

ということで、ひげを生やした男は、身体全体で頭を耕すために、書店に出かけるのであった。
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No. 6 (Fri)
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Date 2006 ・ 05 ・ 05

両腕!

世の中には連休モードの気配が漂っている。あまりの天気のよさに、外へ出かけてる人が多いのか、「いの研」のHPのアクセス数は一向に増えない。(それはまあ、天候のせいでも、連休のせいでもないかもしれないけれど。)

小生はこの数日間、山へ出かけて木を切ったり、原野を開墾したりといった肉体労働に従事してきた。おかげで片腕でなく両腕が痛い。腰も痛いし、脚も痛い。大地や自然とコミュニケーションしたわけだけれど、それは結構タフな仕事なのだった。

人間同士のコミュニケーションはどうかといえば、やはりこれもタフな仕事である。人間も自然の一部なのであるからして、大地を耕すのと同じように、相手の心を耕すのは結構大変だ。一生懸命耕しているつもりが、実はただかき回してばかりいて、実りの得られる畑にならなかったりする。そこで欠けているのは、ただかき回すばかりで、不要な石ころをふるい分けたり、木や草の根を取り除いたりする地道な作業であろう。

ただ、現実のコミュニケーションを考えてみると、一見非生産的に見える堂々巡りの議論や、発展性のないたわごとの繰り返しが、実は大切な畑を耕す作業の第一段階なのかもしれない。踏み固められて野草や潅木がびっしりと生い茂った原野を、実りの得られる畑に変えるには、とにもかくにもまず掘り起こすこと、クワを入れ掘り返すことが必要だからだ。

そうして掘り起こして雑多なものが混ざり合った土をいじりまわして、草木の根を取り除き、石ころをふるい分け、腐葉土を混ぜ込んで滋養豊かな土を作る。それからようやく種を蒔いて、じっくりと面倒をみていくと、やがて食べられる実ができるのだろう。

人と人がコミュニケーションするということは、大地と取っ組み合いそこから収穫を得ることと同じように、大変な作業なのではないだろうか。年齢も性も、家庭環境や地域環境も、文化も習慣も違う、まったく異なった背景を持って生活してきた人間同士が出会い、そこから実りある結果が得られるためには、本当に涙ぐましい努力が必要なのかもしれない。

そんなことを考えながら、ひとり畑作りに精を出した数日だった。収穫ははるか遠い未来。今は片腕どころか、ただ全身の筋肉痛!
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No. 5 (Tue)
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Date 2006 ・ 05 ・ 02

片腕

柄本は舘の片腕、じゃなくて秀吉は信長の片腕とか、矢田は天海の片腕(月9のドラマをご覧ください)とかいうが(誰が?)、川端康成の『片腕』はちょっと違う。

「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」と娘は言った。
そして右腕を肩からはずすと、それを左手に持って私の膝においた。
「ありがとう。」と私は膝を見た。娘の右腕のあたたかさが膝に伝わった。

冒頭からしてショッキングでシュールである。荒唐無稽、言語道断、支離滅裂なお話が、こうして始まる。現実には到底ありえないし、あってはならないことだ。物語はさらに不思議の世界へ突入していくが、それはまた別の機会に。

新潮文庫の解説で三島由紀夫は、「腕のつけかえによって、又、女の腕を借りてくることによって、はじめて会話と交流と、それのみか、「関係」を成就できるような人間なのである」と主人公を分析している。

近い将来、あるいは部分的にはすでに実用化の域に達しているサイボーグは、この主人公が直面したものと同様な問題を、私たちに突きつけてくるのではないかと思うのである。つまり、コミュニケーションや共有体験の希薄化した現代社会あるいは近未来社会の私たちは、この主人公と同様な状況にあまねくおかれていて、種々のサイボーグの力を借りて、はじめて「関係」を成就できるようになるのかもしれない。

先日テレビ(NHK総合)で視聴したドキュメント番組では、サイボーグがすでにそうした問題を突きつけてきている現実を紹介していた。

私たちはこれまで、感覚器官と運動器官を用いてコミュニケーションしてきた。ところが、サイボーグ技術は、すでに脳と機械が直接関係を結ぶ段階にまで来ているというのである。これがさらに進めば、脳と脳が直接関係を結ぶことができるようになる。つまり、会話や身振り手振りといった、五感と身体を用いてのコミュニケーションがなくても、コミュニケーションが成立するようになる。言語が必要なくなり、脳の「中身」が直接別の脳の「中身」と交流したり混ぜ合わされたりするようになる。コミュニケーションの大変革が起こるというのである。

うー、だんだん重くなってきた。片腕じゃなくて、両腕、両肩が痛くなってきた。続きは、また連休明けに。          (近藤 卓)
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